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反省しているのか分からないような態度を取る最近の若い人について

time 2016/02/03

非を認めて真剣に謝り焦る

自分はとても臆病だ。
自分から周囲に話しかけることは高校くらいまでできなかったし、一人で遊ぶのが好きだし安心だった。
小学校低学年のころ、父親に誘われて少年野球チームの見学会に行った時、ちょっとしたミスをコーチに怒られ、それが怖くて結局入部できなかった。
先生に怒られた時もとにかく許してもらおうと必死で謝った(親にはそこそこ反抗したが)
怒られなくても、どうしても助けが必要な時やピンチの時(人から金や知恵を借りる時とか)も同じだ。
真剣に困った様子でお願いされれば、お願いされた人は思った以上に親切にしてくれるものだと思う。
自分はそうやって何度も救われてきた。

だからかもしれないが、自分に非があるときは(当たり前だが)真面目にに謝ることを心がけている。
また人にどうしても何かを頼みたい時も、相手に信用してもらえるよう真剣な表情で話しかける。
相手がそれを許さないかもしれないが、ふざけているとは思われない自信はある。
その時の表情は焦りとか悲しみとか、うまく言えないがとにかくネガティブな雰囲気を漂わすような顔であることは間違いない。

自分はこれが当たり前の謝り方だと思っていたし、誰でもそういう謝り方をするもんだと勝手に思っていた。
だから大学に入るくらいには、レポートの提出忘れや無断欠席などがあったとしても、だいたいの人がそうやって礼儀を守ると思っていた。

後輩の異変

ところが最近、後輩を見ていてあることに気づいた。
自分に明らかに非があって指摘されているにも関わらず、顔はニヤつき笑ってごまかそうとする人があまりに多いのだ。
先生や先輩から何かを指摘された時の態度が、自分の常識の明らかに逆を行っており、何かがおかしいと思った。

これはある個人や全員の問題ではなく、一定割合にそういった態度を取る人がいる傾向があるのだと自分は見ている。
真剣に何かをやることを小ばかにするとか、一生懸命に打ち込めるものが特にないという最近の若い人(という自分も20代半ばの若造だが)の特徴が、ここにも現れているのだろうか。

明らかに非が自分にあり、口ではそこそこ謝っているにも関わらず、顔はなぜかにやついている。
これを見た時、最初は怒り狂いそうになったが、さらに怒ってもあまり変わらなかったのでやめることにした。
さらに驚くことに本人に聞いてみると、どうも悪気は一切ないらしい。
ある後輩からはこんな返答が返って来た。
「自分、やばい時になるとついこういう顔になってしまうんですよねぇ」
クセのようなものなのだろうか、だとしたらなおさら直しづらい。
またなぜそういった態度をとることが自然になってしまったのだろうか。
今までの人生経験上、笑っていてもば許されるような環境、逆に言えば笑ってごまかそうとするのを許してしまう人がいたからかもしれない。
それはうまく叱れなかった親かもしれないし、子供に嫌われたくなかった先生かもしれない。
あるいはコミニュケーションの取り方を学ぶ機会を得られなかったからかもしれない。
多くの人と会話し、喜ばれたり怒られたりしながら(あるいは人のそれを見ながら)、人間はコミニュケーションの仕方を学んでいく。
その機会が少なければ「正しい反応」「取りうる態度」というものもわからなくなってしまう。

真剣な表情と態度は時に身を救う

真顔で「すみません」と言われても謝られた気にはならない。
笑った顔で「困ったんで助けてください(笑)」と言われても助ける気にはならない。
上で述べたように、真剣な態度は多くの場面で身を救うということをもっと知ってもらう必要があると、今回改めて思った。
もちろん演技しろということではないのでそこは勘違いしないでほしい。
あくまで「本当に困ったり悪いと思ったりしたらどうするべきか」の対処法を身につけてほしいということだ。
面と向かってのコミニュケーションが減っていると言われて久しい昨今。
これがますます進行したら、若者はさらに予測の付かない反応をするようになるのだろうか。
あるいは「すみません、こんな時はどう反応するのが良いのですか?」と聞いてくるようにでもなるのだろうか。
あまり深い考察はできないが、気になったので書き留めてみた。

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